第4章 目には目を
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社会関係を微妙に調整することは、霊長類にとって常に重要問題であり、食べ物の交換がからむ社会システムだとなおのこと重要になる。あらゆる種類の人間社会に特徴として見られる相互義務が発達するうええで……食物分配は大きな役割を果たしたと思われる。 (グリン・アイザック) 他人にされたことをする
ワタリガラスがどのように死肉を発見し、それを仲間に伝えるのかを探った 8トンの家畜の死骸を雪深い山中に運んだ
カラスは飛んでいるとき動物の死体らしきものを見つけると、じっくりチェックしてから出ないと近くに降りようとしない はっきりそれとわかる死骸でさえ、カラスは何週間も手を出さない
ハインリヒはカラスは非常に慎重だが、最後にはリスクを引き受ける勇敢な者がつねに何羽かいると書いている
残りのものは大丈夫だとわかったら降りてくる
ハインリヒによると、どのカラスも偵察を嫌がるわけではなく、積極的に危険を冒したがる者もいるという
休んでいるオオカミに向かって急降下したり、背後から忍び寄ってくちばしで突いたりして、オオカミに捕まる瞬間逃げ出すカラスも目撃されている
カラスのこうした行動は私もよく知っている
カラスがときおり見せる冒険的な行動は、自分が経験豊かで勇気があり、生命の危機に際しても素早く反応できることを示して、地位を高めたり、交尾相手にいい印象を与えるためではないかと、ハインリヒは推測している
確かに雄のカラスは勇気を示す行動と、脇で見ている雌への求愛を交互に繰り返すことがある
また、危険を忌まわしいものというより、むしろ特権と考えているような行動に出たりする
フクロウのぬいぐるみで実験したところ、カラスたちはこの捕食動物に誰が攻撃を加えるかで順番を競い合った
動物の死骸を発見してよく確かめ、鳴き声ではるか谷の向こうまで仲間に伝えるカラスは、自らの危険も顧みず、仲間に多大な利益をもたらしていることになる
もし生殖に何らかのプラスがなければ、とっくの昔に自然選択で消滅していただろう 実際にオオカミは、わずらわしくつきまとうカラスを殺したりする コストと利益の分析は進化を語るときの要であり、それに基づくと利他的行動は、短期的には損でも長い目で見たときに、あるいは自分でなくても血縁者に見返りがあるということになる
ハインリヒもこの前提に従って、雄のカラスは勇敢な行動をとることで、異性から見たときの魅力を増すのだと推測した
カラスの場合、その地域の生息数が多いこともさることながら、ともに餌を食べる仲間の出入りも激しいため、直接的な交尾以上の見返りはまず期待できない
カラス同士の出会いは、市場の法則というよりシングルズ・バーの法則に支配されているのである
だが動物によってはそんなシステムに手を加えて、便益をたがいにやりとりする
霊長類の場合、グループはその構成員がはっきり決まっており、長期にわたって行動をともにする
関係に永続性があるために、便宜のやり取りを厳密に監視することができる
そのため相手の第一印象だけで判断する必要はなく、これまでの交流全体を視野に入れられる
もっともこの2つは相補的
利他現象と相互支援の起源をめぐる議論がはじまった当初、血縁選択の発想は互酬的利他現象を完全に打ち負かしていた
当時は社会性昆虫が研究の中心で、トリヴァースの説を裏付ける証拠が不足していた 近年、とくに霊長類をはじめとする哺乳動物の研究では、正当な注目を集めつつある 認知能力への関心が高まっていることも一役買っている 道徳性の観点からさらに重要なのは、互酬的利他現象によって、血縁関係にとどまらない大きな協力ネットワークが可能になる点 血縁者の支援が道徳的に不適切だというわけではないが、その傾向はあまりに強力すぎる
家族への義務はどんな道徳体系でも重要視されている
しかも権力者が親戚たちを政府の住職に任命するといった、明らかに不公正な状況が生まれることもある
道徳的な検知から最も高く評価されるのは、家族や一族以外の者と分け合ったり協力したりという、もろいけれども集団の幸福に結びつく傾向のほう
そんな傾向を定着させるには、与えることと受けることを何らかの形で結びつけるのが最も効果的
人間が結ぶ道徳契約の中心には利益への期待がある
もちろんすべてではなく、全体として
だからこそ人間は、追放、投獄、処刑などよほどのことがないかぎり、この契約から抜けようとはしない
だが互酬性のない道徳性はありえない
「してもらいたいと思うことをしてあげなさい」という黄金律は「他人がしたようにしなさい、また他人にも、あなたがしたのと同じことをしてもらうよう期待しなさい」という互酬性のルールから出発した
食べ物を分けあうこと
道徳性と互酬性の結びつきがはっきりわかる例は、食物をはじめとする資源分配をおいてほかにない
他人を食事に招き、後日お返しとして招かれるという行動は、もてなしと友情の証として人間が広く行っている儀式
一番原始的な団結方法を真っ向から否定しているわけだから、一人で食べることを原則とするような文化はたんなる個人の集合であり、「道徳的コミュニティ」はおろか「コミュニティ」とさえ呼べないだろう
日本では手酌は相手への侮辱にほかならない
これは人間の典型的な性質をよく現している
同じ卓を囲む者は、それぞれが相手のホストでありゲストなのだ
この習慣は、人間社会の本質である互酬性と分配の縮図と言える
平等主義的な文化では特に分配が浸透しており、独り占めなどはそういう発想さえ出てこない
我々の経済システムでは、入手できる資源を各人ができるだけたくさん確保しようとするのに対し、狩猟・採集民族では協力と分配への期待が高度に公式化されており、経済システムもそれに依存している。もっとも彼らとて勢力や性的パートナーをめぐって競争はする。だが個人は余剰をため込まないのだ。幸運にも大型の動物をしとめることができた者も、獲物は全部自分のものだとか、家族だけで食べようなどとは決して思わない
狩猟の成否は運に左右される
分配はより確実な食料供給の方法でもある
更に勇気を示すカラスと同じように、常に仲間よりたくさんの肉を提供できる狩人は威信が得られ、性的にも特権を勝ち取れる
女達が優秀な狩人と性関係を結ぶのは、仲間として引き止めておくためではないかとカプランらは推測する
彼らにとって、獲物が独特の意味を持っていることは明らかだ
狩猟採集民族の生活比重が採集より狩猟に傾いているとはもはや考えられないが、狩りの獲物が多大な興奮を呼び起こすのは間違いない
肉はその実際の栄養価をはるかに上回って重要視されている
その傾向は彼らだけに限らない
北アメリカの文化では、すでに集団で食事をする習慣から離れつつあるようだが、それでも感謝祭の食事のときだけは家族の目の前で七面鳥を切り分ける
世界の殆どの地域で、肉(あるいは魚)は食卓の中心を占めており、また様々な特権や宗教的タブーの対象にもなっている
自分たちが食べる動物との類似性を強調するという文化的説明とは別に、肉の地位の高さをもっと世俗的に説明することも難しくない
もともと狩猟は採集とくらべると危険で予測がつかず、また複数で協力しないとできない作業
そんな背景があるから、肉は大切にされるのだろうか
もしそうであれば、問題は栄養的なものから社会的な性質を帯びてくる
チンパンジーは獲物を分けあうときは寛大なのに、お気に入りの果物となるとどうしようもなくなる 野生チンパンジーにとって、食物となるサルの捕獲は祝福すべき出来事で、独特の呼び声で他のチンパンジーも続々と集まってくる おねだりをする者、分け与える者が入り乱れ、肉が手から手ヘと渡されていく
だが、バナナの房を見つけたときは、こうはならない
バナナを見て興奮したチンパンジーたちが暴力的な振る舞いに及び始めたため、ゴンベではバナナの支給を中止したほど
ウィリアム・マクグルーはこのキャンプでの状況を記録していたが、寛大さを示す行動はほとんどなく、分配は母親と幼い子どものあいだに見られただけだった バナナを持っているチンパンジーが激しい攻撃を受けるのは、それが分けやすいからではないだろうか
ところが動物の死体は、急いで逃げようにもそう簡単にはちぎれない
肉を持つ者を誰も攻撃しないのは、攻撃する意味がないからではないか
もっともこの説明は暴力性しか考慮に入れていない
そもそも、高い価値があって分配しにくい食べ物が、どうして分け与えられるのだろうか?
狩人の立場で考えると、樹上性のサルを捕まえようとするとき、チンパンジーは二頭ないしは三頭一組で、あるいはもっと大きなチームで追いかける
三次元レベルで機敏な獲物を捕まえるのは容易ではなく、コロブスモンキーなどは相手を傷つけることもある チンパンジーはなおさら単独で狩りをやろうとしない
ゴンベでは、一頭の雄がコロブスの群れの近くでじっと待ち続け、別の雄が加勢に来たらただちに狩りをはじめた光景が目撃されている
狩りに参加する個体数が大きくなるほど成功率は高くなり、また個体数がマジックナンバー3になると、途端に動きが迅速になることがわかる
疑問
もしチンパンジーAが獲物を仕留めても見返りを与えないとすれば、どうしてBはAに力を貸して骨の折れる狩りを手伝うのか
たしかにBは狩りに参加するかもしれないが、それはAに過度な便宜を図ってやるためではないかという考え方もできる
Bの狙いは、Aが獲物に打撃を与えたところにつけこんだり、Aよりもひと足早くなにか獲物を手にすること
協力というより、せいぜい同時的な行動に過ぎない
だがボッシュ夫妻によると、チンパンジーの狩りはもっと統合がとれているという
彼らは一個の狩猟隊を形成し、それぞれが独立した、しかし補い合う行動をとる
獲物を追い立てるものがいると思えば、獲物を取り囲んだり、逃げ道を塞ぐものもいる
肉が協力行動の動機になっているのなら、タイ国立公園のチンパンジーたちはただちに獲物を分配するはず
実際おとなの雄に関しては、そのことが証明されている
木の上なら物乞いを避けることができるのに、彼らは捕まえたサルを地面に持って降りて食べ始める
もっとも肉の分配は和やかに終わらない
獲物を捕らえたものが大部分を確保しようとするのは当たり前だが、狩りが終わった瞬間獲物の持ち主が変わることもよくある
ねらった獲物が誰かの手中に落ちると、大きな動揺が起こる
他のものが興奮に乗じて獲物をかすめとろうとすることもある
もっとも狩りの参加者は、捕獲者から直接、あるいは他のものから分け前に与えることができる
こうして主だった分配が終わると、今度は切れ端を求める物乞いや鳴き声がひとしきり続き、全員が肉片や骨を口にできる
チンパンジーは、獲物が食べられるのは狩人のおかげだとわかっているようだ
ボッシュ夫妻は、狩りへの参加が最終的な分け前の量に関係してくることを発見した
獲物が捕まったあとに現場にやってきた雄は、地位や年齢に関係なくほとんど、あるいはまったく分け前に与れない
もっとも雌は別格で、狩りに役割を果たしていようといまいと肉をもらえる
タイ国立公園のチンパンジー集団では、雄の狩りへの参加と分配保証が結びついているがゆえに、高度な協力体制が実現しているとボッシュ夫妻は言う
1991年にシカゴ科学アカデミーが主催したチンパンジーの行動に関する国際会議の席で、日本の霊長類学者である高崎浩幸と西田利貞は、雄のチンパンジーが狩りを手伝ってくれた雌似直接ほうびを与えたと思われるビデオを公開した おとなの雄がサルを捕まえたあと、雌が別のサルを見つけて岩の下に追い込んだ
雌は自分で捕まえようとはせず、サルが逃げないよう見張りながら雄を呼んだ
雄が2頭目のサルも捕まえ、地面にたたきつけてすぐに殺した
そこではほかのチンパンジーも物乞いしていたにも関わらず、雄は二頭の獲物のうち一頭を雌にやった
これとは対照的なやりとりを、私はケニアの草原で目撃したことがある
ロナルド・ノエによると、このガゼルの子は大きすぎて雌のヒヒには殺せないのだという 彼女はみんなの方に数度顔を向けたが、注意をひくために声を出したりはしなかった
もしヒヒがチンパンジーのように雄の協力を求めたに違いない
だがヒヒによる食べ物の分配は、とてもチンパンジーには及ばず、この雌が雄に助っ人を頼んだとしても、分け前には与れなかっただろう
チンパンジーの組織的な狩りは、人間以外の霊長類ではほかに例を見ない
ボッシュ夫妻は、高い地位にある雄に寛大さが際立っていることを、また西田らはントロギと名付けられた第一位雄の特殊な例をそれぞれ報告している マハレ山塊の集団に属しているントロギは、自分の権力基盤を強化するために肉の分配を行っているふしがあった
ントロギはは自身も優秀な狩人だったが、他の雄に獲物を要求することも多かった
肉の分配のうち約3分の1では、ントロギが一番たくさん肉を手元においた
彼にとっては食物の分配が最大の目的らしく、自分ではろくに食べない獲物を確保することもあった
それをただ手に持つだけで、他の者がちぎり取っていくにまかせ、最後には手元に何も残らない
ントロギの食物分配は独特のシステムだった
完全に成熟した雄から獲物を取り上げるときは、かなりの部分はもとの持ち主が獲得することを許す
だが若い雄はこの特別扱いを受けられず、それどころかあとで切れ端すら取ることもできなかった
ントロギの目が光っているところで、20歳に満たない雄たちは宴会を遠巻きに眺めることしかできない
チンパンジーの雄たちは20歳ぐらいから階級を昇り始め、高地位の雄に本気で挑戦するようになる
ントロギは第一位にとって最大の脅威である第二位雄も肉の分配に参加させなかった
カルンデは1986年に第二位雄になり、それ以来ントロギの最大のライバル
普段はそう離れていないところにりうが、ントロギが分配するときにはカルンデは必ず姿を消す
先代の第一位雄も第二位雄だったントロギに肉を分け与えたことはなかった
ントロギが肉を分けてやる相手はもっぱら雌で、あとは自分の地位を脅かす危険のない雄、つまり影響力のある年長の雄や、安定した中位に属する成熟した雄も対象
こうした雄たちは社会的地位はないし、トップを狙うだけの体力にも欠けるが、同盟相手としては心強い存在
実際彼らがントロギがライバルに見せた威嚇表現に加わったこともある
第一位雄は特定の集団を「買収」しているのだろう
こうしてントロギはマハレ集団のトップの座を10年を超えて守り通した
アーネム動物園で権力闘争が繰り広げられていたとき、挑戦者であるラウトが植えられたオークやブナの木に突然興味を持つようになった チンパンジーはこれらの木の葉が大好物なのだが幹に電線を巻きつけてあるので近づくことができない
そこでラウトは枯れ木から大きな枝を折ってきて、はしごのようにして昇り始めた
木の上にたどり着いたラウトは自分で食べる以上の枝を折って、下で待っているコロニーの仲間に落としてやった
ラウトは第一位雄になるまでに何度か同じことをしている
私は『政治をするサル』のなかで、ラウトは自分に注目を集めるうまい方法を思いついたのではないかと推測した つまり寛大な態度は、政治的な目的にも使えるということ
食物を分けあえば、人気が出て地位が高まるかもしれない
もしそうなら、わりあい最近に出現した交換経済にも、古来からの上から下への構造が見られるはず
だが支配者は他者から取り上げることで傑出するというより、何を与えるかで地位を固めている用に思える
それこそは、人間の平等社会が阻止しようとしたたぐいの上昇志向なのである
農業が出現する以前の初期の人間の進化は、階層序列が少しずつ緩やかになっていったことが特徴だったろう
食物の分配はその発展の中で画期的な転換点だった
社会支配の重要性が減っただけでなく、身分の地ならしをさらにすすめるための踏み台にもなった
それゆえ食物分配の起源を理解することは、私達にとって意味がある
支配者が下位者から食べ物を奪うという順位そのままの構造では、食べ物の流れは一方的
しかし分配システムでは、あらゆる方向に移動する
その結果比較的平等な資源の分配が実現する
それは私達の考えるような公正・公平の感覚に不可欠なもの
現実は必ずしも理想と一致しないかもしれないが、このギブ・アンド・テイクの伝統がなければ、理想さえ生まれなかったはずだ
誰と分配するか
動物の世界全体を眺めてみると、分配には一定の傾向があることがわかる
採集、処理、捕獲がめったにできなかったり、また捕獲するのに特殊技能が要求されるような高エネルギー食に頼る動物ほど、食物分配が広く行われている
また霊長類の食物分配にも二種類あることがわかる
テナガザルやマーモセットのように、小さな家族単位で安定した集団を作るものでは、食べ物は子どもや配偶者間で自由にやり取りされる 分配は血縁選択の所産だと簡単に説明できる
もう一つの分配も、もともとはこうした家族間の寛容さが土台になっているのだろう
多少なりとも互酬がなければ、分配など発達しなかったはずだからだ
親族間の分配から血縁を超えた分配への移行には、食べ物が備えるいくつかの特徴が関係していた
割りづらい巨大な果実のように、植物でも特徴の一部を示しているものがあるが、そうした特徴を全部備えているのは、大きな獲物だけ
分配される食べ物の典型的な特徴
価値が高く栄養が凝縮されており、そのぶん腐りやすい
ひとつの個体では食べ切れない
いつ入手できるか予測できない
手に入れるのに技能と力が必要であるため、個体の年齢や性によっては他者に頼らないと食べられない
協力することで能率よく獲得できる
チンパンジーと人間に関しては、分配行動の発達と狩りの関係は明らかだと思われる
新熱帯地域に生息するオマキザルが食べ物を分け合うという習慣は、最近まであまり知られていなかった
非常に寛大な性質を持っていることは、チャールズ・ジャンソンのような野外研究者によって報告されていたが、もっぱら母親と赤ん坊、おとなの雄と子供の間で見られるものだった だが私自身がオマキザルを観察したところ、寛容さの範囲はもっと広いことがわかった
血縁関係にないおとなが、ときには同性同士でも平和的に相手の手から食べ物を取る
オマキザルは自然環境の中では、実に多彩な動植物を食べ物にしている
力を使い、破壊的な策を用いることもあれば、道具を使うこともある
雑食性のオマキザルは、昆虫やクモ、爬虫類、アマガエルなど、たいていの動物を餌にする
無防備な巣を襲うだけでなく、おとなのハナグマの防御をかわして子どもをさらうこともあった
いくら敏捷なオマキザルといえど、ハナグマのあごは強靭なので危険な試み
アライグマの親戚で、体の大きさはオマキザルのほぼ倍
こうした襲撃のとき、オマキザルが多少なりとも協力しているかどうかは確認を待たねばならないが、その後の分配に関しては入念に記録されている
オマキザルは捕らえたハナグマの子をまず殺すのではなく、生きたまま食べ始める。
そのためハナグマの悲鳴を聞きつけて、他のオマキザルが集まってくる
子ども1匹を一頭で食べてしまうこともあれば、七頭で分け合うこともあった
他の者が落ちた切れ端を拾ったり、本体からちぎり取ったりすることが多いが、ときには物乞いをする者の目の前に肉が置かれることもあった
肉食が分配発達の触媒になっているのだとすれば、人間の道徳性は動物の真っ赤な血に染まっているという結論は避けられないだろう
私達の道徳的な衝動は、肉を持つ者に群がっていた祖先の頃に端を発する
そんな環の中心には、誰もが欲しがり、だが簡単には手に入らない貴重なものがあった
その状況はいまもさほど変わっていない
それゆえ動物を実験や娯楽に使ったり、人間の食用にするべきではないという主張もある
だがその環の起源を考えると、拡大の行く先が菜食主義というのは皮肉なことこのうえない
与えるということの意味
古生物学者のグリン・アイザックは、人間の進化における狩猟や分配の役割にばかり目が向いていたため、チンパンジーの肉の分配を「盗みの黙認」の一言で片付けてしまった それ以来人類学者は、食物分配の持つ意味を真剣に考えないできた
アイザックに言わせると、「分配」と呼べるのは積極的な食物分配だけだという
チンパンジーが別のチンパンジーに自発的に食べ物を与えるなどということは、ほとんど考えられない
だが彼らがやらないことを強調するよりも、ほかの種と比べて盛んにやっていることに目を向けたほうが成果があるだろう
大抵の霊長類は、与えるという概念すら持っていないように思われる
アカゲザルにリンゴを差し出せば、彼は脅すようにこちらを睨みつけ、唸り声を出しながら私の手からりんごを奪い取るだろう 他者から食べ物を得る方法は、それしか知らない
そのためアカゲザルに、飼育係の手を噛まないように教えるのは時間がかかる
チンパンジー(およびその他の類人猿)は、食べ物を提供されて友好的に対応できるだけでなく、交換ということを理解している たとえばチンパンジーの囲いにねじ回しを忘れてきたとする
人間が一切れの食べ物を掲げ、ネジ回しを指差したり顎で示すと、チンパンジーはたちまちこちらの意図を察する
食べ物と引き換えに渡してくれる
事前の訓練なしにこうした取引ができたサルは、食物分配を行うオマキザルだけだった 食べ物の寄贈はふだんはあまり見られないが、それが頻繁に行われるような状況を作ることはできる
もらえなかったほうが手を出しておねだりすると、分けてやるチンパンジーもいる
これは明らかに積極的な参加行動
箱には果物が入っているときがある
コロニーの他のメンバーは部屋の窓から一部始終を見ることができた
幸運にも果物を見つけたチンパンジーが外にいる仲間に手渡した
野生での積極的な分配は、食べ物のやりとり全体のうちごく一部だが、チンパンジー研究者の多くがこの行動を報告している
そのほとんどは肉の分配だったが、ジェーン・グドールはおとなの雌が年老いた母親に果物を持ってきてやった光景を目撃している 彼らはオマキザルで食物欠乏の実験を行っていたのだが、実験対象のなかでルーシーというサルだけは、なぜか体重が減少しなかった
「いちばん考えられるのは……ルーシーは非公式な供給源から余分の食べ物を受け取っていたということだ。十分な食べ物を与えられた個体が、隣の檻にいる食べ物の少ない個体に餌をやったところを、我々も一度ならず目撃している」
私達も進行中の調査でこの所見を確認している
今度は食べ物を減らすのではなく大好物を与えてみた
一方にはリンゴを切ったものが入ったボウルを20分間置き、そのあとでもう一方に切ったキュウリのボウルをやはり20分間置いて、その様子をビデオに記録した
するとオマキザルは金網越しに、食べ物を手渡したり、押しやったり、投げ込んだりした
こんな交換は他の霊長類ではおよそ考えられない
もちろんこうした実験では、食べ物のやりとりの大多数は受動的
普通は食べ物を持っている方が、手づかみの食べ物を仕切り近くの床にまいて食べ始める
もういっぽうは金網越しに手を伸ばして、床の食べ物を拾ったり、あるいは相手の手や口から直接取ったりする
オマキザルは相手のあごの下に手を入れて、食べこぼしを受け止めようとする事が多かった
念の為言っておくが、食べ物を持っている方が、仕切りの方に食べ物を持ってくる必要はまったくない
小部屋の隅で独占することだってできた
実際に寛容度の低いペアでは、そんな光景が展開される
分配は相手を選ぶ
群れのなかの関係を参考にすれば、分配する組み合わせを予測することもできる
積極的な寄贈をするのは人間ぐらいのものかもしれないが、他の霊長類にその能力がないわけではない
むしろ彼らにはその必要がないのかもしれない
むしろやりとりが起こること自体が重要
寛容さを持ち合わせない動物と比べると大変な変化
チンパンジーやオマキザルは、正確には人間のような分配はしていないかもしれないが、ある個体が自発的に他者の食べ物を得るという結果は同じこと
互酬性の実験
分配の心理はほとんど解明されていない
実験したオマキザルが仕切りのところに食べ物を持っていったのは、ただ仲間のそばで食べたかっただけかもしれない
だとすると分配の背後には、寛容の他にも親愛の情もあるのかもしれない
また分配は交換の概念の現れであり、見返りへの期待があることも考えられる
この種の実験は、特にチンパンジーの研究で必要性が痛感されている
野生での肉の分配は何度も目撃されているが、互酬性の程度については何もわかっていない
捕食に参加する個体はそのときどきによって異なるし、肉の量もまちまち
チンパンジー自身は、誰が誰に対してどんなことをしたか把握しているのかもしれないが、食事時の顔ぶれは絶えず変わる
実験にはどんな食べ物を使えばよいか
好物の果物を定期的に与えていると、暴力が横行してコロニーが崩壊するのは避けられない
ゴンベ国立公園の野生チンパンジーを調べたとき、また飼育下のチンパンジーでコロニーを作ろうとしたときにバナナを使って失敗した経験もある チンパンジーが小動物を捕まえて食べられるようにすれば、きわめて自然に近い状況が作れるのだろうが、倫理的にそれは許されないだろう
私は葉のついた枝を何本も束ねてスイカズラのつるで縛ったものを与えることにした
野生のチンパンジーなら周囲にいくらでもある葉を分け合う必要はない
飼育下のチンパンジーなら新鮮な葉のついた枝は分配行動を調べるのにうってつけ
枝を見たチンパンジーたちはちょっとした興奮状態になるが、激しい競争にまではいたらない
友好的な身体接触の頻度は100倍に、また地位を誇示するシグナルは75倍にも増えた
下位者は優位者、とくに第一位雄にすりよって、お辞儀をしたりパントグラントをする 逆説的ではあるが、彼らは階層序列を帳消しにする前に、今一度園確認をする
この反応は、寛容と互酬性中心の相互作用に移行する合図になっており、私は「祝典」と呼んでいる 祝典をすることで社会の緊張が和らぎ、リラックスした食事が可能になる
分配をしない種では、このような行動は絶対に見られない
だが、チンパンジーはお互いに抱き合って喜びを体全体を表現する
数分後にはコロニーの全員が食べ物を手にする
もちろん競争もあるし、ときには喧嘩に発展することもあるが、印象に残るのは友好的な雰囲気であり、礼儀正しさ
大人同士に攻撃の兆候が見られたのは全体の3%
分配のときに社会的優劣の威光が色褪せることは、フィールド研究者の間ではずいぶん早くから指摘されていた
もちろんントロギの例でもそうだったように、完全に威力が失われるわけではないが、ふだん最も尊敬され、恐れられている者が、下位者に手を伸ばしておこぼれをねだる光景も珍しくはない まだ誰のものでもない食べ物に支配者と下位者が同時に手を伸ばしたときは、下位者はゆずる
だがひとたび下位者が食べ物を手中にしたら、その所有権は尊重される
もっともこのパターンが成立するのはおとなだけで、子どもが相手だと、そこまで抑制はきかない
順位の低い者は手に入れた食べ物をなかなか手放さないのに比べて、高順位の個体の寛大さは非常に目につく
そのため雌や若者などの弱い者は、高順位者に群がって食べ物をねだることが多い
イギリスの人類学者ニコラス・ブラートン・ジョーンズは、物乞いをする者は断られると攻撃に転じる恐れがあり、そんな相手と平和を維持するための一手段が分配なのだと主張する もしそうだとすれば、一番威嚇の対象になりやすい低順位者が一番分配をするはずではないか?
ヤーキースのコロニーで先代の第一位雄だったウォルナットは私が見た中で最も気前よく分配をしたチンパンジー 強靭で体格もよく、同性にライバルもいなかったウォルナットは、雌と子供を残らず支配していた
彼が手に持っていた束のなかから、いちばん新鮮な葉のついた枝を雌が引き抜いた
雌に取られるままになっていたウォルナットに、一筋でも恐怖があったとはとても思えない
またチンパンジーやオマキザルは、攻撃の危険性がなくなってからも食べ物を他者に与えたりしている
私がチンパンジーで行った実験では、枝を持っている側が物乞いする側を威嚇する回数の方が、その逆よりも5倍も多かった
価値が非常に高い食べ物だったり、また競い合う雄の数がとても多かったりすれば、圧力に屈した分配も起こる可能性がある
だが食物分配は非常にリラックスした状況で発達するので、強制的な分配はあくまで二次的なものとしか考えられない
分配をしない動物では、腹を空かせた下位者が数百頭までまわりを取り囲んでいても、たったひとりの支配者が悠々と食べることもできる
チンパンジーや人間では物乞いの願いが叶えられないと癇癪を起こす
私たちが知りたいのはどうして期待の内容に違いがでるのかということ
満足の行く答えを与えてくれるのは、互酬的利他現象だけ
この理論の正しさを確かめるために、ヤーキースのチンパンジーの「葉食」をめぐるやりとりを5000件近く記録した
そのうち半数は、個体間の食べ物の移動に結びついていた
ゴンベ国立公園のチンパンジーで肉の分配を記録したゲザ・テレキの割合とほぼ一致する 2回のうち1回しか試みが成功しないということは、相手が選別されていることを意味する
相手のおねだりから逃れる方法として一般的なのは、枝を相手の届かないところにひっぱったり、食べ物を持ってどこかに行ってしまうこと
食べ物を持っている者が相手に吠えたり叫んだり、また相手の存在など気に留めていないことを示そうと、持っている枝で相手の頭をはたいたりといった行為に出るのは非常に珍しい
コロニー内のおとなどうしの食べ物の移転について、あらゆる方向に関して分析を加えてみた
互酬性の仮説で予測したとおり、一定方向の移転の回数は、反対の方向の回数と関連があった
互酬説を更に裏付けるのが分配に伴うグルーミング
その日グルーミングしていれば食べ物を分けて貰える確率が高くなった
私が実験したコロニーは、おとなの雌数頭に雄1頭と性比が普通ではなかったし、使った食べ物も野生なら分配する必要がない種類のものだった
それでも実験で得られたデータは、明らかに互酬的な交換の原則を裏付けている
何かを受け取った、もらったという親切を記憶できる個体は、どんな状況でもその知的な能力を適用できる
協力としての狩りと肉の分配、グルーミングと葉の分配は、様々な可能性のうちの2つにすぎない
たとえば、チンパンジーの雌たちは、お互いの子供を守ったり、ベビーシッター役を引き受けたりするとき、互酬性のルールに従うだろう
また雄と雌の間では、間違いなくセックスが切り札である
ボノボの雌は性行動の直後、場合によってはその最中に雄から食べ物を受け取ることが知られている
報復から正義へ
霊長類の世界位では、食物分配が進化の舞台に登場するより前から、社会サービスがすでにフル稼働しており、互酬性はその新しい手段として登場した可能性が大いに考えられる
同盟形成という言葉でも知られる、喧嘩の助っ人などはそんなサービスの一候補だろう 霊長類の他にもイルカのような動物は、政治的な動物ならではの役割の使い分けを苦もなくやってのける チンパンジーが手を伸ばして助けを求めたと思うと、別の相手を吠え立てたり大声をあげて脅かし、その直後にペニスを勃起させて足踏みしながら異性に求愛するというのは珍しいことではない
同盟の互酬性は、まだ十分に議論されていない分野
同盟の多くは血縁関係が基本になっている
この種の支援システムには互酬性など必要なく、血縁選択だけで説明はつく
支援行為が即座に見返りに結びつくため、本当の意味で利他的とは言えないこともある
キイロヒヒの二頭の雄が協力して、発情した雌からライバルを追い払う例 この状況ではどちらの雄も自分自身のために動いている
最初の雄がいなくなれば、次は同盟関係にあった雄同士が雌を狙って競い合うことになる
ときには前の雄がどちらか一方の雄と戦っている間に残りが雌に忍び寄ったりもする
明らかにこうした行動は「利他現象」というより「ご都合主義」だろう
相互利益までが存在しないというわけではない
つねにチームを組む雄もいる
オスのヒヒ同士の支援関係は最初はご都合主義で始まったのかもしれないが、やがてその一部は、互酬の期待が働くパートナーシプへと確立されていったと考えられる
また雄のヒヒは、雌とその子供にも力を貸してやる
雄は特定の異性と友情を築いて初めて群れに受け入れられるし(ヒヒの群れは雄が移動し、雌は一生同じ群れに留まる)、同時に守られる相手の交尾意欲も高めている
雄は雌を守ってやり、雌は雄にセックスの機会、ひいては生殖の機会を提供している
バーバラ・スマッツによると、双方の利益となるこの関係は何年にもわたって継続するし、関係を確立するためにまるで人間そっくりの行動も見られるという 最初のうち雄と雌は、ちらちらと相手のほうに目をやっている。この段階では、自分のグルーミングに熱中したり、何もないのに遠くをじっと見つめたりして、かならず無関心を装うものだ(この2つのしぐさは、社会的に居心地の悪い状況のときにヒヒがよくやる)。やがて、はにかみがちな盗み見の段階が過ぎ、主に雄の方から近づいて、グルーミングが始まる。もし友情が「成立」すれば、カップルは毎日の休息時間をともに過ごすようになり、やがては生活をともにするようになる。
異性がそれぞれ違った貢献をする友情関係のような、異なる通貨のやりとりがあるおかげで、互酬性の存在を確かめようとする研究者はさらに頭を悩ませることになる
サルの群れは、セックスや支援やグルーミング、食べ物をめぐる気前のよさ、危険への警告、その他ありとあらゆるサービスが取引される市場にほかならない
私達はそれぞれのサービスの価値を明らかにするとともに、長期に渡って個体間の関係を追跡して、取り決めが成立しているか確かめなくてはならない
雌のヒヒにとって、雄の保護は非常に大きな意味を持つ
しかし、他の雄の注目を無視するほどの価値はあるだろうか?
グルーミングしてくれた相手が自分を守ろうとして傷を負った場合、グルーミングのお返しをすれば恩返しできるようなものだろうか?
いまのところは通貨を一種類に限定して、それがどんな風に取引されているかを突き止めるのが簡単でいいだろう
食べ物の分配に関しては、すでにそれをやってきた
同盟もまた互酬性であることが立証された
この種の互酬性は、全く性質を異にする2つの形で現れる
ひとつはサルや類人猿が親族や友人、つまり日常多くの時間をともに過ごす者に好んで支援するという単純なもの
ソーニャとミラが助け合うのは二人がいつも一緒にいるからか?
ともに過ごす時間には対象性があるので、その事実があれば支援の相互性を説明するには充分かもしれない
変数の影響を統計的に排除する方法はいくつかあり、対象性を考慮に入れてもなお互酬性は残っていた
だとすると、最初の説明だけでは不十分であり、第二のメカニズムを想定する必要が出てくる
この分析で検討された出来事のいくつかは、数週間から数ヶ月の間隔で起こっていた
霊長類は与えたり受け取ったりした便宜を忘れず、過去に自分が受けたのと同じやり方で相手に力を貸すのだろうか
チンパンジーはマカクよりも互酬の完成度が高い
チンパンジーはお互いに助け合うだけなく、自分に刃向かうものへの「報復システム」まで持っている
紛争が起こっているとき、誰かがどちらかの側につくとする
そういう行為は味方についた側の利益になるが、同時に相手側には損失となる
なにかに賛成する選択は、必ず反対する選択も内包している
チンパンジーがユニークなのは、賛成・反対に関係なくすべての介入が互酬的に行われているところ
AがBに対抗して誰かを助けるとすれば、BもAに対抗して同じことをする
この傾向は人間にも当てはまるが、マカクは違う
支配的な敵対者にたてつこうとすると、それは序列そのものに反対することにほかならず、マカクにとっては不可能に近い
ところがチンパンジーは、支配的地位にある者に正面切って対立することをいとわない
このように互酬システムには報復が欠かせない要素となっている
優位なチンパンジーに集団でたてついたとき、その集団の一頭が、あとで優位者に追い詰められるというのは珍しいことではない
だが仲間が見えるところにおらず、しかも優位者が報復をやめないと大変なことになる
そこで順位の低いチンパンジーは、高順位者同士の紛争に鼻を突っ込む前に、じっくり考えなくてはならない
逆に下位者が特定の支配者と対立すると、支配者のほうが難しい状況に追い込まれるのは時間の問題
下位者はその支配者のライバルの側につき、敵を作りすぎると痛い目にあうことをはっきり示す
マカクでは、このような報復はあまり見られないが、かといってまったくないわけでもない
この群れで一番ランクの低い雌シェードは特定の雄にたびたび嫌がらせを受けていた
しかしある日、シェードはついに勇気を奮い起こした
この雄に追いかけ回されている最中に、くるりと振り向いて対峙した
たちまちシェードは怒った他のサルたちに鎮圧された
群れの全員が寄ってたかって彼女を濠に落とした
3月のウィスコンシンはまだ凍えるほど寒い
ミラーによると、普通は濠に落とされても数分で上がってこられるが、シェードに限っては20分以上も自ら出られなかったという
ようやく岸にたどり着いたシェードに、攻撃的な5頭のサルが同時に飛びかかって咬みついた
あとで獣医が診察したところ、噛み傷はごく浅いものだったという
だが低体温がひどく、その夜いっぱいシェードは屋内で過ごした
次の日の早朝、シェードが姿を現すと、サル山に集まっていたニホンザルたちはあちこちに散らばってしまった
緊張が高まっているのは明らか
まだ充分に回復していないシェードは、手足を引きずるようにしながら、昨日自分を追いかけた雄のところに近づいた
それから17分間に第一位雄を含む他のサルたちが制止しようとするのもお構いなしに、シェードはそのオスに13回も攻撃をしかけた
シェードの二頭の子ども彼を追いかけるが、攻撃はかわされてしまう
雄は彼女をたたき、しっぽを空中に立てるしぐさをしていたが、やがて去っていった
こうしてやっと群れはいつもの状態に戻った
低順位の者が共同戦線を張って対抗するといのは、マカクではきわめて珍しい
マカクは間接的な報復の名手
標的になるのは、敵本人より若い者のことが多い
また復讐行動は時間をおいて起こることもあった
そのため年若の標的を守るためにまた同盟が形成され、報復への報復が起こる
母系中心の集団では、政治はまわりまわって自分に返ってくるもので、しかも複雑
互酬的利他現象が実証され、究明されたと言えるにはまだまだ遠い道のりがある
霊長類の互酬的利他現象が、以前に考えられていた以上に確立されていることは確かだと思う
彼らは社会の営みについて大きなバランスシートを作っているらしく、そこには否定的な行為も含まれている
便宜を図り、図られるというシステムは、それを損ねるような傾向を抑制しない限り長続きはしない
理論化トリヴァースは、同盟関係や相互支援がまだ知られていなかった頃から、そのことを認識していた
少ないギブで多くのテイクを望む、そんな「ごまかし」は、正直に寄与する者の利害は言うに及ばず、システム全体を危険に晒す
真面目な者がその危険を阻止して身を守るには、ごまかしが高くつくことを示すしかない
「道徳的攻撃」とも呼ばれる懲罰行動がそれ
他者がどんなふうに振る舞う「べき」かを教える行動
もっとも人間に関しては、トリヴァースは特別に「憤慨」という言葉を与えている 過去に何度も助けてやった仲間が、こちらの頼みを聞いてくれなかったようなとき、私達は憤慨する
憤慨は不公平を認識するところからはじまる
その意味では人間の道徳性を支える感情の一つ
チンパンジーもこんな特殊な感情を持っているかもしれない
あくまで仮説的ではあるが、はじめてそれを示唆したのが、私達が行った食物分配の実験
食べ物を持っているものに近づくとき、他の者に比べて威嚇される回数の多い個体がいた
威嚇される頻度の違いは、当の個体が食べ物を手にしたときの態度にあった
葉のついた枝の束を手にしたときのグウィニーとマイという対照的な二頭の雌の例 グウィニーはそれを持って木登りフレームのてっぺんに上がってしまう
マイは気前よく枝を分けてやるので、彼女の周りにはたちまち他のチンパンジーが集まっておねだりをはじめる
食べ物をもらう側になったとき、グウィニーやジョージアなどけちな性格の持ち主は、マイやウォルナットのように気前よく分け合う者より、威嚇や抗議を受けることが多かった
復讐と互酬性は同じコインの表裏
直接・間接を問わず何らかの報復をするという行為には、正義と公正の感覚が見え隠れしている
霊長類が持つ「目には目を」の発想は、望ましからざる行動には代償が伴うものだという「教育」目的も果たしているのだろう
個人が苦しみを負ったとき、その立場を弁明したいという欲求をどう管理するか、そんな両者の距離が、文明の複雑度を知るひとつの尺度だとジェイコビーは言う
文明が発達を遂げるそれぞれの段階において、道徳および市民意識の最高水準のところで復讐を抑制するための努力がなされてきた。破壊者としての野放図な復讐と、正義の構成要素として避けられないコントロールされた復讐とのあいだには、緊張が絶えることがない。だとすると、復讐抑制の努力は本質的に自意識で行われるものと考えられる。
したがって、報復的な正義は、つきつめれば、五分五分でいたいという欲求に支えられている
この欲求は反論できないほど強力な理論づけを行わないと、復讐が永久に繰り返され、社会がばらばらになってしまうだろう
チャグノンはヤノマモインディオの血族同士の確執を研究し、おとなの男性の死亡原因のおよそ30%は暴力だと推測した 州都に行ったヤノマモインディオのある若者は、公平な司法制度に触れてその利点をただちに理解したようだ
若者は興奮した口調で私に話してくれた。彼は州知事を訪ねて、復讐の争いに関わるのはもういやだし、絶えずおびえて暮らすのもごめんだと言い、自分たちの部族のための法律と政治を作って欲しいと懇願した。彼の親族の多くは暴力で命を落としており、当然敵討ちも行われていた。報復の標的になることを恐れた若者は、自分は襲撃に関係ないとみんなにわかってもらうのが習いになっていた。
人間の互酬性と正義感は他のどんな動物よりも高度に発達しているが、人間と動物には法律や倫理の研究者も認める共通部分もたくさんある
哲学者ジョン・ロールズの書いた名著『裁きの定理』を読むと、この本は人類の進歩について記したというよりも、霊長類に見られる古来からのテーマについて詳しく取り上げたものだという感を拭えない しかし私達の祖先も、道徳的な内容を言葉で表現できるようになるずっと以前から、感謝や義務、懲罰、憤慨に導かれて行動していたのではないだろうか
(徳の追求は)戦闘的な存在論をしりぞける。ある政治形態の利点を享受しようという者は、努力してその政策を築きあげてきた者への負い目を意識し、許されて参加している組織を弱体化させるような行為を慎むよう自戒しなくてはならない。
ハクスレーは、道徳性を自然に対抗するための文化的構築物と結論づけるのではなく、進化の過程で到達できることにまで視野を広げていればさらに良かっただろう。
それをもっと正確に言い表したのがトリヴァースだった
相互支援の利点について書かれたハクスレーのことばは、そのままサルや類人猿、その他の動物にも当てはまる用に思われる